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2008年12月27日 (土)

クリスマスプレゼント 

みんな子供へのクリスマスプレゼントってどこに置くのかな。

私はツリーがあればその下に置きたいんだけど、我が家にはツリーがないので枕元へ。来年は広い家に越して、ツリーを買って試したいな。

あーぼーへのクリスマスプレゼントは25日朝。ピアノを置いた。

あーぼー見つけたとたんに「キャーーー!!」と大興奮。でも「あれ?なんでトイザラスの袋に入っているの?どうやってサンタさん家に入ってきたの?」と(汗)

まあ袋は指摘されるかなぁとは思っていたけど。私は「サンタさんが普通の人に変装してトイザラスにあーぼーの欲しいもの買いに行ったんじゃない?ママ、サンタさんが入って来られるように昨日の夜はベランダの窓開けておいたんだよ。サンタさん来たの全然気づかなかったね~~」と答えた。

プレゼントは、11月にサンタさんへのお手紙に「ぴあのがほしい」と書いていたし、日頃から「ピアノが欲しい、ピアノが欲しい~」と言っていたので。ピアノと言っても4000円くらいで買えるマイク付きのカラフルなキーボード。あらかじめトイザラスに連れて行って、どんなのが欲しいのか調査済みだった。

クリスマス前々日にはジョー実家に行って、プリンセスのDVDとキュアフルーレ(プリキュアのおもちゃ)を買ってもらった。私とジョーでおもちゃももう限界だよね。場所とらないなにか。。。と話していたらジョーがアリエルのDVDは?とグッドアイディアが浮かび、あーぼーにそれがいいんじゃない!と言い聞かせたので(汗)本人もその気だったけど、いざおもちゃ屋に行くと、ババーーーン!と飾ってあるキュアフルーレに一目ぼれ。それも買ってもらった。

私の母からは小包が届き、プリキュアのオンパレード。あーぼー大興奮。小物入れ、カレンダー、手帳、フィギア、タオル、スリッパ(これは探したけどプリキュアがなくてバーバパパ)私は母に、カレンダーとスリッパがいいかなぁと話していた。

すごいよなーー。あっちからもこっちからもクリスマスプレゼントが届き、大喜びのあーぼー。みんなの期待を一身に背負いーー。

ちなみにユーニへのプレゼントはクリスマス&誕生日ごとに買い足しているシルバニアファミリー。今回はリスの赤ちゃんの人形。かわいくて即決だった。

25日は午後は、しまじろうのコンサートに友達親子と行った。ま、これもクリスマスプレゼントの一部よね。

昼は、中華街、山東で水餃子。コンサートは7列目とバッチリ見える席。コンサートの始まりにお姉さんが「みんな~クリスマスプレゼントあったかな~」に「ピアノーーー!!!」のあーぼーのでかい声「ピアノもらったんだね!」とお姉さんに声が届いていた(汗)その後も友達の子とノリノリで歌いまくりで満喫していた。

あ、私も自分にプレゼントを買った。無印良品のアロマディフューザー。水にアロマオイルを1,2滴たらしたのが超音波でミストになって出てくる。加湿器まではいかないけど、寝室くらいならちょうどいいかも。いい香りに癒されながら眠れる!と思って買ってしまった。なかなかいいじゃ~~ん!!と気に入って毎日使っていたが、まだ買って1週間くらいしか使ってないのにもう壊れた??状態だよーー。年明け、修理できるかきいてみよう。

昨日は不妊治療の病院、あーぼーの風邪で延び延びになった2回目のインフルエンザ、私の運転免許の更新、郵便局などの用を済ませた。

ジョーは年末年始もなく仕事なので私はあーぼーを連れて29日に実家に帰るつもりが、どうせジョーは夜中にしか帰ってこないし、朝早いし、だったら明日帰ってしまおうかなぁと考えている。あーぼーと2人で車で帰るのは初めて。空いていても3時間なので、あーぼー途中で昼寝してもせいぜい1時間ちょいだから後半が飽きてしまっていつもうるさくなる。だから2人で帰る時は電車にしていたけど、冬だから荷物も多いし、あーぼーも話は多少なりともわかるようになってきたので車で帰省もなんとかなるかなぁと。がんばろ。

では、みなさまよいお年を~。

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2008年12月25日 (木)

風邪 再検査 クリスマスイブ

風邪を引いてました。

最初にあーぼーが鼻タレになって熱が出たり幼稚園も休んだり。あーぼーは幼稚園大好きなので、ちょっとやそっと具合が悪くても「幼稚園行く!!」ときかないけど、熱もあるのでよく言い聞かせ休ませた。

そうこう数日が経って私に移り鼻水が止まらず、咳が止まらず体中が痛くなった。

私は風邪を引いても鼻水が出るくらいでいつも終わるのに、今回は熱やら体は痛いやらで辛かった。体が痛くなったのも初めての体験。ホント辛くて、ジョーにSOSして、彼は忘年会を2日ほどキャンセルした。

私の記憶が正しければ、私は結婚して9年間たいした風邪も引かなかったので内科を受診したことがなく、風邪でどこの内科に行っていいか迷い、結局、先日届いた主婦健診の再検査の予約の時に一緒に診てもらった。

主婦健診の検査結果。

検査結果をみて驚き。。。

今回は、まず軽い胃炎。

でもこれは所見健康扱い。まぁストレスも多ございます。家のこと、悲しいかな。。ジョー母のこと、不妊がストレスのメインの理由かな。

あと貧血。

今まであーぼー・ユーニの妊娠中の時しかきいたことなかったのに。

で、三つ目、ナント血。

血小板が多過ぎらしい。えっ!?血小板ってナニナニ??と検査結果と同封の小冊子を見ると、血小板の数が少ないと、貧血とか白血病の可能性が・・・と書いてあり、えっ!?はっはっ白血病???とドキドキし始めた。あれっ。。でも私は少ないんじゃない、多過ぎ。。多過ぎには何もふれていないので、ちょっとネットでみたけど、血小板っていうと「白血病」が出てきて、なんか怖くなって検索をやめてしまった。

検査結果の用紙には「医師相談(治療含)」で、備考「貧血・血小板増多 内科で治療・精査を行って下さい」とあり、うわぁぁ何なのぉぉと、すぐ病院に予約した。

再検査でまた採血。

健診の検査結果を見て、今までの健康状態や現在の不妊治療のことも話しながら

私「血小板って検索するとすぐに白血病って出てきて怖かったんですけど。。」

先生「そりゃないですね。もしそうだったらこんな元気そうにいられないですよ~~採血の検査結果は1ヶ月後。私、月に1回しかこの病院に来ないんですよ。次1月○日来られますか?」

私「その日は法事があって。。」

先生「じゃ2月ね。体が炎症起こしているとこういう数値になる時があるからそれだと思うよ。2月でも問題ないと思う。」

そうなんだぁ。。とホッとした。

で、この時ついでに風邪薬も出してもらったのだった。

私の風邪もだいぶよくなり、月曜日はお友達の家でクリスマスパーティー。別にいつもとほとんど変わらない感じなんだけど、タイトルだけ(笑)

昨日はジョーの実家に泊まり。今年はジョーが年末年始仕事になってしまい、恒例の大晦日にジョー実家泊まりは中止になったので昨日がその替わり。年末年始は、私とあーぼーだけで私の実家に帰ることにした。

今日のクリスマスイブは、数ヶ月前にオープンしたカジュアルな、おフランス料理でお友達親子とランチ。

1500円のコースランチ。子供達は1000円のプレートランチ。今日はクリスマスイブだしとたまに食べるファミレスランチとかより奮発。子供のランチはプレートと言ってもスープ、パンやデザートはちゃんと別に出てくる。ジュース付き。なかなかすごい。

そして、この店のすごい所は、子供を専門のスタッフがキッズルームで預かってくれる。ランチタイムは無料で!ってとこ!!食事中、友達の子は「おしっこ~~」「うんち~~」と2回。それを聞いていたあーぼーも「うんち~~」と1回トイレへ。何かと子連れは落ち着かない。が、そういうスタイルの店なので店構えはステキだが、ほとんどが子連れ客で席を立ったりが目立たずグー。子供達はチャッチャと食べ終え、キッズルームをお願いし、私達はくつろぎの静かなデザートとコーヒーの時間が持てた!子供達も「すっごく楽しかった~」と大満足だったし、おいしかったし、また行こう。

食後は、またまたキッズルームのある美容室へ。もちろんタダで利用できるとこ。

私達はその隙にカット、カラー、マッサージまで(笑)

ジョーは今夜、もちろん通常通りで帰りが遅いというし、夕食もポテトサラダ、温泉玉子、なめこの味噌汁くらいしか作らずフツーの日だったけど、風邪もほぼ治り、再検査もほぼ心配なさそうで、充実のクリスマスイブだったし、グーグーグー。

さて、あーぼーのクリスマスプレゼントの用意をしよ!

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2008年12月16日 (火)

大好きな大好きなおばあちゃん

12月5日の朝、私の実家で一緒に住んでいたおばあちゃんが亡くなりました。

93歳でした。

12月5日は、あーぼーの幼稚園の音楽会の日で、ジョーも午前中会社の休みを取り一緒に観に行く予定をしていた。朝7時頃みんなで朝ごはんを食べていると、電話。

「おばちゃんが危篤なんだ」

といきなり父の声。

「うそでしょ。。」

と私がいうと

「嘘じゃない。ほら聞こえるか?」

とおばちゃん(おばあちゃん)の荒い息遣いを電話越しに聞かせようとしたけど、私も「おばちゃんの危篤」に動揺し全く耳に入らず

「とにかくすぐに行くから」

と電話を切った。

ジョーとすばやく相談した。あーぼーはこの音楽会をとても楽しみにしていたし、とりあえずジョーはあーぼーを連れて音楽会に行く。私はすぐ実家へ向かうとして、電話から30分後には家を出た。

一度手を上げたら下ろすこともできないくらいの超満員電車の中でジーパンのお尻のポケットに入れた携帯電話のバイブが鳴った。いやな予感。やっと乗り換えの駅に着いて、着信のあった弟の携帯電話に電話すると、弟が

「待って。お父さんに代わる」

と。父は一呼吸おいて

「おばちゃん、亡くなったから。。。だから慌てないで来て。。。」

乗り換えの電車に乗って、隅に移動しながら父の声を聞き泣いた。あまり混んでいる電車ではなかったので、ひたすら泣いている姿は注目されていただろう。それから2時間。やっと家に着いた。おばちゃんは病院からもう家に帰っていた。

いつもごちゃごちゃと物がある二間続きの座敷はきれいに片付いていて、隣のおばちゃんと親戚のおばさんが静かに北向きに寝ているうちのおばちゃんを見守っていた。

まだ温かかった。信じられなかった。もう何をしても動かないおばちゃんを見て、とにかく涙が止まらなかった。

父と母は電話をしたり、なんだかバタバタとしていた。母は「頭が混乱しちゃって何をどうするんだか。。」と涙を浮かべつぶやきながら。

おばちゃんは、亡くなる前日、老人カー(年寄りが押すベビーカーのようなもの。ベビーを乗せるのではなく自分が疲れると座れるイスが付いている)を使いながら近所のお友達の家に遊びに行った。夕方は母と一緒にドーナツを食べた後、めずらしく「もう寝る」と言うので、母がどうしたのか聞くと便秘でお腹が張って少し痛い感じと言って6時くらいにはベットに入った。8時くらいにうんちが出そうで出なくてお腹が痛い、としてるうちに少し吐いてしまい、母が夜間救急に連れて行くと、すぐ近くの大きな病院に行った方がいいと。大きな病院で父も慌てて合流。いろいろ検査して、とりあえず大丈夫そう、落ち着いたので父と母は帰っていいですよ、と「おばちゃん、一旦うちに帰るね」と声を掛け帰宅。

翌朝、6時過ぎ父がお店の仕入れに市場へ向かう途中に病院から電話。「様態が変わったのですぐに来てください」と。母と病院に駆けつけると、おばちゃんの意識はなく肩で呼吸をしていた。「この呼吸ではそうもたないかもしれません」との医者の話で、すぐ私に電話をくれたと言う。

私はとりあえず1組の着替えだけを持ち家を出たので、夜実家でお線香をあげにきてくれるお客さんが引いてから電車を乗り継ぎたっぷり3時間の道のりで自宅に帰った。

翌日の土曜日にジョーとあーぼーと改めて実家へ。いつもかわいがってもらっていたあーぼーは、わかっているんだかわかっていないんだか。「○○ちゃん(おばちゃん)ユーニと同じお空へ行くんだって」と説明した。あーぼーは

「○○ちゃん(おばちゃん)重い!」

と自分の右肩に手をやって言っていた。ユーニの時も亡くなって数日後に

「ユーニがここにいる」

と自分の左肩に手をあてて言った事があった。子供って不思議だ。。

日曜日の午前中は納棺師の方が来た。20代後半くらいのキレイな細身の女の人。1人でおばちゃんを動かしながらパジャマから着物に替えさせ、頭をムースで洗って髪を整え、顔も剃って好みを聞きながらきれいにお化粧をしてくれた。

少し前に「おくりびと」を観て感動したばかり。本物の納棺師を初めて見て、改めて感動した。

普段全くお化粧どころか、顔の手入れもしないおばちゃんは10歳くらい若返ったようだった。お線香をあげに来てくれる方々にはみんなに「きれいだ。。」と言われた。そしてみんな「穏やかで、いい人だった」と。お坊さんも「いつもお会いするたび、言葉はあまりありませんが、穏やかで、ゆるぎない芯の座った方というのが感じられました」と。

私が生まれてからずっと一緒に住んでいた、おばちゃん。うちは共働きだったので、私や弟はおばちゃん子だった。小さい頃はおばちゃんの自転車の後ろに乗ったり、あとを自転車こいだりして出掛けた。もちろん幼稚園の送り迎えもおばちゃん。

学校から帰ると「お腹すいただろ」とみそおにぎりやラーメンを作ってくれた。食事の時は「行儀が悪い」とよく叱られた。弟とたたきあいのケンカをして「ぶつんだったら、ばあちゃんことぶて!」と言われた時は衝撃的だった。私が高校卒業する年、アメリカに留学したいと言ったら大反対した。

東京に出てからは「次はいつ帰ってくるんだ?」と、背中が丸まり小さくなって昔の迫力がなくなったおばちゃんは、いつも私の帰省を楽しみにしていた。

あーぼーの出産の為に帰省していた時は、よく一緒に田んぼや畑を散歩した。

ユーニのことがあってからはいつも「どうしてこんなにかわいいのに。。」と写真を見ながら悲しそうに言った。

たくさんの事が頭をよぎった。

「あーぼーのランドセルはおばちゃんに買ってもらうからよろしくね!!」

と話していたのに。。。

ずーーーっと「居てあたりまえ」のつもりでいた。

棺の中に斎場から用意のあった、おばちゃん宛ての色紙には

「いつもいつもありがとう。いっぱいいっぱいありがとう。ユーニのことよろしくね」

と書き、別の手紙には

「大好きなおばちゃん。。生まれ変わったらおばちゃんと姉妹になりたいよ。私のお姉ちゃんになってね。」

なども含め感謝の気持ちを書いた。あーぼーは、おばちゃんを描き、その前は川で囲まれていて、周りにはお花がたくさん描いてあった。意味を聞くと

「○○ちゃんがお花の道を歩いているの。前に川があるんだ」

えっ!?それって三途の川!?とか勝手に想像しながら聞いていた。

色紙の最後、父の言葉を見ると

「兄の死、言わなくてゴメン。兄と仲良くね」

9月に亡くなった伯父は、おばちゃんの第一子。おばちゃんも具合が悪かったりだったので、伯父の死は言わないほうがいいだろうと家族で決めていた。伯父が亡くなった後も「○○(伯父)はどうだ?」と伯父は病気でずっと入院中と話していたので心配をしてたまに聞いてきたという。おばちゃんが9月に具合が悪くなったのは結局、圧迫骨折という、ちょっとした衝撃でも骨折してしまうというものだったらしく、長距離の車移動でそうなった為、もう長距離の車移動はできないと本人もわかっていた。伯父の具合が良くならないと会えないという話になっていた。

結局、おばちゃんは亡くなるまで伯父の死を知らないままだった。

父も母親に、兄の死を子供の死を隠していることが苦しかったのだろう。

告別式も終わり、年賀状を慌てて喪中はがきに替え、去年とほぼ同じ文面のままで急いで印刷して先週末に出した。けど、まだ母に電話すると

「おばちゃんは?(元気?どうしてる?)」

と言いそうになる。。

おばちゃん、やっと戦死したおじちゃんとたくさん話せるね。伯父ちゃんのこと、先にいっていて驚いたろうね。ユーニのことよろしく、これからも私たちを見守ってね。本当にありがとう。

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2008年12月 3日 (水)

不妊治療

先月から不妊治療専門の病院に通い始めた。あーぼーを授かるまで通っていた病院。

ユーニのことがあってしばらくして「やっぱり子供が欲しい」と強く思い基礎体温を測り始めた。2,3ヶ月つけたけど、すごーくバラバラ。こりゃホルモン剤飲まなきゃ無理だろうなぁと思い、近所の産婦人科、あーぼーを里帰り出産までみてもらっていたり、ユーニのことでも相談に行った病院に行った。

理由は、その産婦人科は近いし、予約なしの病院なので、いつでも都合のいい時に気軽に行ける。不妊専門病院になってしまうと、常に予約で、気軽さがなくなり、ストレスも多く感じるだろうし、いざという時にあーぼーを連れて病院に行くのがイヤだから。産婦人科で妊婦さんや赤ちゃんの泣き声を聞いたりするのは辛いけど、下を向いて本を読んで見ないように聞かないようにすればいい。

もう一つのその近所の産婦人科を選んだ理由は、あーぼーを授かったのも4回も人工授精をしたけど妊娠できず、5回目の時、病院との都合が合わず自分達でタイミングをとって妊娠できた。ユーニの時は、そろそろ2人目欲しいな~と自分で排卵検査薬でタイミングを取りながら2,3回目で授かることができたので、不妊専門病院まで行かなくてもホルモン剤飲んでタイミング取ればそのうち授かるだろうくらいに思っていたから。(でも結局、年をとって体や肌の衰えを感じてるけど、体の中だって同じように衰えているんだよね。子宮だって、たまごだって。。。前と同じようにはいかないよね、年齢と共に妊娠率が下がるんだもん)

産婦人科に通いながらホルモン剤を飲み、痛ーーい筋肉注射を打ちながらタイミングを取った。タイミングはたいてい合っていた。けどこの1年以上妊娠できなかった。

9月、大好きな伯父さんとの別れの頃、それどころではなかったので病院に行かなくなってしまった。で先月、この先どうしようか。。とジョーとも相談をして、やはり不妊専門病院に行くことに決めた。

先月行き始め、まず卵管造影検査(卵管が通っているかどうかみる)を受けようとしたが、ちょうど私の主婦健診があって、胃のレントゲンを撮る為のバリウムを飲むとそれができないらしく翌月になってしまった。

不妊専門病院はとにかく朝一から大混雑。昔、通院していた時もかなりすごい。。と思っていたが輪をかけてすごくなっているかも。予約制なのに、とにかく常に80人くらいの患者が待合室にいる。確か医師は4人。私は以前と同じ院長だけど、予約時間に行っても1時間くらいは待つ。

できるだけ、あーぼーが幼稚園の間に。。と思っていたけど次回の予約がちょうどあーぼーが代休の日になってしまった。上の子を連れて受診している人も常に2,3人はいるけど、もしかしたら一生我が子を抱けないかもしれない不安を持っている人のいる場所に子供を連れて行くのは正直気がもめる。待合室はさけ、できるだけ子供が遊べる部屋にいるようにしようか。。。

あーぼーもずっと「ユーニまた来るよ」とか、私のお腹に耳をあて「赤ちゃん、お腹にいるよ」とか「赤ちゃん生まれたら、あーぼーがオムツ交換したり、ミルクあげるからね。ママはうんちの時にオムツ交換してね」とか、赤ちゃんを楽しみに待っている。

あーぼーを授かる前の「一生我が子を抱けないかもしれない」という不安を抱えながらの不妊の辛さはないけど、やっぱり、生理が来るたびに泣いてしまう。

早く赤ちゃん来てくれるといいなぁ。。。

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